耐えるしかなかった選択肢。そこから得た物は・・・

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間接的な愛情(搾乳がスタートした)

帝王切開の翌日から搾乳が始まった。

私にはもう1人、上に子どもがいるからわかる。
母乳の大切さ、授乳の大切さ。

だからこそ、精一杯取り組んだ事。
それが搾乳だった。


「私は娘Kの痛みや苦しみを取り除く事はできない。
せめて、母乳だけは飲ませてあげないと・・・」

それだけだった。






授乳は、
赤ちゃんが泣いて、お母さんが本能で与える・・・

というシンプルで自然な行為だ。


しかし、私の娘は薬で眠らされている。

だから時間を決め、夜中も目覚ましをかけて起き、
せっせと自分の胸をしごき、母乳を出す。
はじめは違和感だけしかなかった。






私はまずは予防措置を取った。

「出産後は、個室にしてください」

と。

大部屋では、健康に出産したお母さんがたくさんいる。

そんな幸せの輪の中の人達と何日も寝起きを共にするのは
私には耐えられない、
ましてやその中で1人搾乳するなんて、
到底できないと思ったからだ。




出産前の病棟は、子どもが病気かも知れないお母さんと大部屋で同室だったが、
出産したら、その人の子どもは健康に産まれたと噂で聞いた。

「あれだけ産前は悲壮感 漂ってたのに・・・」
「あの人は大丈夫だったんだ。でもなんで、私の子どもだけ・・・」

幸せな出産。おめでたいことなはずなのに、
私の心はそんな妬みや
うらやましい気持ちで一杯だった。






夜中、看護師さんが起こしに 私の病室をノックする。

「宮下さん、搾乳の時間ですよ」


眠く重いからだをベッドからやっとのことで起こし、

座った姿勢で私は搾乳をする。



母乳は、赤ちゃんが乳首を吸い付く感覚で出てくる。
私はその吸い付く感覚を、
自分の手で自らの乳首に刺激を与える。

『無』
でやるしかなかった。


ジワジワと溢れてきた母としての想い


もう一度言う。


授乳は、母乳であれ、ミルクであれ、
親子にとって愛情を感じ合う大事な行為だ。

本能・感覚で愛を受け取り、与える。



搾乳は、本能や感覚ではなく、
頭の中で、
愛を受け取り、与えるシュミレーションをしているかのようだった。


行為は機械的だけど、
愛情は勝手に溢れてきていた・・・。

母としての自覚がどんどん芽生えていった。




つづく

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お母さんとして、やってあげられることがない・・・。

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スゴい本数のチューブに繋がれていたのは・・・

信じられない・・・。

どうしてこの状態でこの小さな命は生きられるんだろう・・・。


って思うぐらい、

小さな小さな体に
これでもかっていうくらいの
得体の知れないチューブにつながれ、
多くの機械に囲まれた娘が
横たわっていた。

その小さな頭には、ニット帽がかぶせられていた。



私の心臓はずっとドキンドキン
血の気が引き
毛穴は総毛立ち
体は氷のように硬直していた

私は今のKの状態を理解することが困難な状態だった。

でも、目は離せない。
目を離してしまうと、死んでしまうような気がしたのだ。





「まずは、安心してくださいね。状態は安定していますからね。
しばらくは眠る薬で、眠らせていますので・・・。」

誰かが私に話しかけた。


十二指腸閉鎖症の部分の手術を担当してくれたF先生だった。

「普通のベッドでは体温がどんどん低下していくので、
保温ベッドに寝かせています。頭もこうやってね、あたたかくしてね・・・」



口にはとても太いチューブがくわえさせられていて、
その固定のために、テープで口を塞がれている。
苦しい、悲しい、辛い、私はそう感じ取った。
それぐらい残酷な見た目だった。。。。


「繋いだ食道の経過が一番心配です。大事にしないとだめですから、
このように太いチューブで術部を安定させています。
そして、これは痛み止めの点滴、それからこれが酸素のチューブで、これが・・・・」



たくさんの事柄を、絶対私は母として知らねばならないが、
何をどうやってどのように理解したらいいのか、
全くわからなかった。
とても混乱していた。



でも、これだけはわかった。

「娘は生きている。生きる意志がしっかりある」

ということ。



この苦しそうで痛そうで辛そうな娘を目の前にして、
母の私は、抱いてあげる事ができないことが、

とても、とても、とても・・・
辛かった。

ニット帽の頭をやさしく撫でてあげ

「よくがんばったなあ、K」

話しかけたら、私の目から涙がこぼれた・・・・。


続く。

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【闘病育児日記】術後、初めて娘に会いに行く

はじめまして、PICU。闘病育児のスタート


重厚な扉の向こうには、

初めての、異空間がそこに広がっていた。


ベッドは約5台。

大きさは様々。

小さい子しかいないという訳ではない。


最新設備が整った、
とてもきれいな、とても明るい、
とても活気のある病室。


ただ、、、

光がサンサンと入って明るい病室のはずなのに、
空気は緊迫し、
緊張感で空気が張りつめている。


面会時間なので、
あと一組家族が面会に来ていた。

どうしてだろう?
距離は近いはずなのに、
話し声が聞こえない。

口は動いているのに、
何をしゃべっているかわからない。

それは私のメンタルの問題なのか、
それとも・・・?



Kを手術してくれたK教授の声はよく聞こえる。

医大生に囲まれて、指導している。

「こんなもん、あかん!!!」

なんか怒っているようだ。

小さな命を扱う責任の重さが伝わってくる。

頼もしいドクターだ。



私はぼんやりそんなことを意識の隅でめぐらし、
娘のベッドはどこにあるんだろうと、
目は血眼だった。

「どこ?」
「どこ?」
「Kはどこ?」



「宮下さん、こちらです」

「いた!」
「なに?」
「これはなに?」


小さなカプセルのようなベッドに、
娘はうつ伏せで横たわっていた。


無数の管で繋がれ、
何台もの機械に囲まれている。

ピコン、ピコン、
シュー、シュー、

よくわからない音が鳴っている。



・・・・・そこに
ちいさな命が全力で戦ってる娘の姿がそこにあった。

「K!」

私の胸はズキン、ズキンとなり、
髪の毛は逆立ち、背筋にビリビリと電気が走った。


続く

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【闘病育児日記】PICU

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術後 娘はPICUへ入院

助かった娘の命。

術後、集中治療室PICUに入った。

〜PICUとは・・・?〜

PICUは小児集中治療室、NICUは新生児集中治療室です。
PICUは新型インフルエンザによる急性肺炎や脳症、心臓疾患、術後などで、集中管理を必要とする小児が入ります。
NICU低出生体重児や呼吸状態の悪い新生児、食道閉鎖などの先天疾患等を持つ新生児が対象です。

このためNICUのベッドはベビーサイズ、PICUのベッドはキッズサイズもしくは大人と同じベッドになっています。

ただ、病院によってはNICUとPICUを厳密に分けず、どちらも小児科が担当する救急ベッドとして対応している病院もあります。 




産後の身体には、とーーーても遠いPICUだった。

普通の新生児室はこんなに近いのに。

遠いな、階もちがうんだ。


帝王切開後、すぐに車いすに乗って、娘に会いに行く。

名前は決めてある。

お腹から出てきて、私と目が合った瞬間、決めたんだ。

娘は『K』。


K、待っててね、母ちゃん、すぐに会いに行くからね!





PICUは二重の頑丈な扉で守られていて、

面会時間も1日に3回と決まっている。

そしてインターフォンを押して名乗らないと、扉は開かない。

「Kの母親の宮下です。」

「はい、どうぞ・・・」





その重厚な扉が開いた・・。

そこには異様な光景が広がっていた。



続く


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【闘病育児日記】出生後に見つかった新たな疾患

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娘の疾患は1つだけではありませんでした。


・・・・・・

深くて短い眠りから覚めたとき、

小児外科の教授K先生が病室に入ってきた。




私:「娘、どうしたんですか?出生後しばらく経過観察して、いいタイミングで手術やなかったでしたよね?」

K先生:「娘さん、産まれてすぐ検査したら、十二指腸だけやなくて、食道も繋がってませんでした。
こっちの方がやっかいで、放っといたら命に関わるから、緊急手術しました。
同時に十二指腸も繋げました。メッケル憩室もありました。消化器全部隅から隅まで見て確認しました。
手を付けたのはその3カ所。キレイに洗浄してお腹に戻したからね。
命に別状はありません。術中の出血はヤクルト1本くらい。手術自体は成功しましたよ。」



・・・
なんか盛りだくさんで、わけがわからない。
ぼんやりとした意識を必死でシャキっとさせながら話を聞く。

と同時に心臓がバクバク。
毛穴全開、鳥肌が立って、冷や汗が出る。



私:「で、娘は・・・?」

K先生:「命に別状はない。生きる力のあるお子さんやね。たくさんの赤ちゃんを手術しているからわかるんです。
この子は大丈夫でしょう」



よかった。

よかった。

よかった。


娘は助かった。

ちょっとだけ安心した。


まだ心臓はバクバクしていたけど。




続く

【闘病育児日記】娘の誕生直後。また何かあったのか・・・?

【娘を出産して数時間の時間が経っていた】


誰かが私の頭を触っている。

心地よい手で頭をなでてくれていた。

気がつくと、私は自分の個室のベッドの上だった。

主人が東京からここ京都の病院へ 駆けつけてくれていたのだ。



主人:「あとで、小児外科の医師(K先生)から真由美ちゃんに話があるって。
俺とお義理母さんはさっきその話聞いたから・・・」

私:「え?先生何て言ってた?・・・てか、娘はどうなったん?」

主人:「いや、、、それは直接K先生が話するから。それまではゆっくり休んで」

私:「いやいや、ゆっくりとかあらへんし。なんなん?娘なんかあったん?」

主人と母:「・・・・・・」



高熱で朦朧とした意識の中、私は娘の安否以外に何も考えられなかった。

もしかしたら、娘は他に病気があって、生死の境にいるかもしれない。

それとも、植物状態とか・・・

脳に異常があるとか・・・




ゆっくりできる訳ないやんっって思っていたけど、

娘の病気が判明した妊娠30週目から約2ヶ月間の消耗がよっぽど激しかったのだろう、

私はまた意識が遠のいて行き、深くて短い眠りにまた落ちたのだった・・。




続く

【闘病育児日記2】娘の産まれて初めての大仕事は、哺乳ではなく手術でした

こんにちは。

ヨガで愛と調和を育むベキベキです。



昨日から娘の過去の闘病日記をスタートさせました。
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なぜこういう事をしようかと思ったか?

決して不幸自慢ではありません。


重い先天性の疾患を持って産まれても、
こんなに元気に回復し、成長していくんだということを
今現在同じ苦しみを持つお母さんに1人でも多く知っていただきたいからです。


病気を持つ子どものお母さん、
そうでないお母さん、

いろんな方にいろいろなこと、感じてほしいです。



娘(K)誕生。一つの安堵と最大の難関

帝王切開で生まれた娘(K)。
見た感じは普通の子。むしろ、おめめパッチリでとってもかわいかった。

出産してすぐ、1度も抱っこすることなく私たちは離ればなれになった。

「バイバイする前に、お母さん、触ってあげてください」


私は足をそっと触ってみた。とっても温かく、Kの生きる力を感じた。

「もっと触ってあげてください」

看護師さんはそういったけれど私は、

「私の手、冷たいんです。そんな手で触られるとびっくりしちゃうでしょ?」

これ以上触れるのを断った。


それよりも、娘を早くなんとかして欲しい!

一刻も早く、病気をなんとかしてあげてよ!

すぐにとりかかってあげて!


私は心の中で叫んでいた。

集中治療室へと娘は運ばれていき、

私は手術台に横たわったまま、その後ろ姿を見送る。



Kの病気が判明して1ヶ月半、ほとんど睡眠を取っていなかった私は、

直後に高熱を出してそのまま意識を失ってしまった。



つづく