【闘病育児日記8】耐えるしかなかった選択肢。そこから得た物は・・・
間接的な愛情(搾乳がスタートした)
帝王切開の翌日から搾乳が始まった。
私にはもう1人、上に子どもがいるからわかる。
母乳の大切さ、授乳の大切さ。
だからこそ、精一杯取り組んだ事。
それが搾乳だった。
「私は娘Kの痛みや苦しみを取り除く事はできない。
せめて、母乳だけは飲ませてあげないと・・・」
それだけだった。
授乳は、
赤ちゃんが泣いて、お母さんが本能で与える・・・
というシンプルで自然な行為だ。
しかし、私の娘は薬で眠らされている。
だから時間を決め、夜中も目覚ましをかけて起き、
せっせと自分の胸をしごき、母乳を出す。
はじめは違和感だけしかなかった。
私はまずは予防措置を取った。
「出産後は、個室にしてください」
と。
大部屋では、健康に出産したお母さんがたくさんいる。
そんな幸せの輪の中の人達と何日も寝起きを共にするのは
私には耐えられない、
ましてやその中で1人搾乳するなんて、
到底できないと思ったからだ。
出産前の病棟は、子どもが病気かも知れないお母さんと大部屋で同室だったが、
出産したら、その人の子どもは健康に産まれたと噂で聞いた。
「あれだけ産前は悲壮感 漂ってたのに・・・」
「あの人は大丈夫だったんだ。でもなんで、私の子どもだけ・・・」
幸せな出産。おめでたいことなはずなのに、
私の心はそんな妬みや
うらやましい気持ちで一杯だった。
夜中、看護師さんが起こしに 私の病室をノックする。
「宮下さん、搾乳の時間ですよ」
眠く重いからだをベッドからやっとのことで起こし、
座った姿勢で私は搾乳をする。
母乳は、赤ちゃんが乳首を吸い付く感覚で出てくる。
私はその吸い付く感覚を、
自分の手で自らの乳首に刺激を与える。
『無』
でやるしかなかった。